桜は、つぼみも五分咲きも七分咲きも美しい。この時期になると日本に住んでいて良かったと感じる。桜は日本の木とされ、長い間多くの人々に変わらず愛され、日本人の心に深く刻みこまれてきた花である。
日本を代表する音楽のひとつに、日本古謡「さくらさくら」がある。
外国に日本の音楽家が行くと、決まってこの「さくらさくら」はレパートリーのひとつとしてプログラムに入れられるか、アンコール曲に使われる。
日本はもちろん、西洋でも有名になったのはなぜだろう。
その理由のひとつに、宮城道雄が作曲した「桜変奏曲」がある。この曲は1923年(大正12年)に作曲された。関東大震災が起きた年である。
宮城道雄は神戸居留地で生まれ育ったため、西洋の音楽に自然に親しんでいた。
『音に生きる 宮城道雄伝』(千葉潤之介・千葉優子著)によれば西洋の楽器に興味を覚えて研究し、ストラビンスキー、ドビュッシー、ラヴェルなどの音楽にひかれ、作風に影響を受けたとある。日本の音楽と西洋の音楽とを融合し、国民音楽を創作する思想も宮城道雄の中に強くあったと記されている。
この変奏曲は、ピアノ独奏や連弾曲、管弦楽、小編成のオーケストラなどで演奏することができるため、国内外で演奏されるようになった。
もうひとつは、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」の第一幕にこの歌が登場することである。
ミラノスカラ座で初演されたのが1904年(明治34年)だったというから、外国では早くから有名だったらしい。曲の形式が西洋音楽に近く、外国人に理解されやすかったのも一因だったといわれている。
「さくらさくら」の原曲は箏曲(そうきょく)にあり、1888年(明治21年)に刊行された箏曲集には《桜》という題名で収録されている。
江戸時代に平曲、地唄、箏曲などの芸能者たちは当道に属し、幕府に保護され地位を築いていた。八橋検校で有名な、検校は当道の最高位で、十万石の大名に匹敵したという。
そのころの歴史をひもといてみると、題名は「咲いた桜」であり、「曲調は箏曲の基調である陰旋法の旋律で構成され、江戸時代の伝承音楽であった」とだけ記録されている。幕末の伝聞によると箏曲の手ほどき曲であったらしい。
ただ、それ以外にはっきりした歴史と史実が残っていないので、音楽研究者のなかには、「さくらさくら」が日本古謡とされていることを疑問視する声もある。
いずれにしても、「さくらさくら」のルーツが箏曲入門の曲のひとつだったことには間違いない。
この曲はいまも子どもたちが学校で歌っているが、その歌詞が、近代に入って何度か変えられたことを知る人は意外に少ない。

「咲いた桜」では♪咲いた桜 花見て戻る♪だったが、「桜」では♪桜さくら 弥生の空は見渡すかぎり♪になり、現在の「さくらさくら」では♪さくらさくら 野山も里も見渡すかぎり♪となった。
この曲が、初めて教科書に登場したのは1941年(昭和16年)。国民学校の国定教科書『うたのほん 下』に掲載された。題名は「さくらさくら」で、歌詞は♪野山も里も見渡す限り 霞か雲か朝日ににおう さくらさくら花盛り♪となっていた。
歌詞の背景には江戸時代の国学者本居宣長の和歌「敷島の 大和心をひと問はば 朝日に匂う 山桜花」があるといわれている。「朝日」は日本国を表し、「におう」は「美しい」「映える」の意味をさし、最後の「さくらさくら」で、軍人が美しく散っていくようすを表しており、その軍国・日本を強調し、美化する意図が込められていたという。
戦後になって、文部省(当時)の指導要領が1947年(昭和22年)につくられ、それに沿った検定教科書が23年から各出版社によって刊行された。
「さくらさくら」が戦後教科書に載ったのは、その検定制度がスタートした1948年(昭和23年)に教育出版社が発行した6年生の教科書で、実際には1949年(昭和24年)から使われた。
ただ、この教科書の「さくらさくら」には不思議な点が多い。
まず、教科書の表題が『世界の音楽』となっている。歌詞はローマ字で記され、♪やよいのそらはみわたすかぎり…においぞいづる♪となっていた。また、日本民謡とされ、カタカナで「ミツクリ シュウキチ」と編曲者が記載されていた。
ただ、他の出版社はこの曲を掲載しておらず、1950年(昭和25年)に教育芸術社が「野山も里も」の歌詞で載せているものの、「さくらさくら」を扱う教科書は少なかった。
しかし、1967年(昭和42年)の指導要領で小学2年生の共通教材となり、このときに歌詞が統一され、♪野山も里も♪の方になった。
逆に言えば、このときまで♪野山も里も♪の歌詞でも、♪弥生の空は♪でもよかったわけで、戦争や軍国主義を嫌う教師は♪弥生の空♪のほうを教えていたようだ。
その後、1977年(昭和52年)の指導要領で小学4年生の共通教材となり、♪野山も里も♪の歌詞で現在も続いている。
さらに、1989年(平成元年)の指導要領の変更によって、中学1年生の共通教材に採用されるが、こちらの歌詞は♪弥生の空は♪が使われている。
つまり、いまの子どもは同じ曲をふたつの歌詞で教わるわけである。

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桜の花の美しさは昔も今も変わりないが、それを見て歌った人の気持ちが時代によって変わったことの表れとも言えそうだ。ところで、同じ曲でふたつの歌詞を習う子どもたちはどう感じているだろうか。ぜひ一度、たずねてみたい。
教科書から離れてみると、いまは福山雅治の「桜坂」をはじめ、森山直太朗の「さくら」や河口恭吾の「桜」などの桜に寄せた歌が桜前線と一緒に日本を覆っている。
これらの新しい「桜の歌」は、日本古来の情緒を大切に歌いあげ、桜の香りとひそやかな雅をもった桜の花びらのイメージを壊さない美しいメロディーで多くの若者の心をとらえている。
さて、いつの日か、「日本を代表する桜の曲は?」と聞かれたとき、どんな曲が紹介されるのだろう。

■2004年4月

音楽家。ラジオ関東(現ラジオ日本)DJ、ピアノ、チェンバロ演奏家、合唱指導及び伴奏、インタビュアー、司会などを務め、市民と芸術の共有をめざしたコンサートの企画、合唱を通じた精神障害者の社会復帰活動などを続ける。
フレッシュアンサンブルかわさき代表、あさおランチタイムコンサート実行委員長、デュオとお話「MOT」代表、麻生区文化協会総務、市民文化パートナーシップかわさき会員。自宅=川崎市麻生区白山
ホームページ=http://members.goo.ne.jp/home/booboohiroko